さいころ。。。

2009年6月30日 恋愛
本当なら、昨日はさいころを振る日だった。
カレンダーに書いた「さいころ」という字は消えない。
あと1日、6月はあるけど、昨日で6月のカレンダーは破って捨てた。
ところが、すっかり忘れてたけど、7月の最後の月曜日にも「さいころ」という字が。
8月も、9月も・・・、12月までずっと。
お気に入りのカレンダーだから、捨てたくないし。


でも、さっきふと目が覚めて、なんとなく勢いで全部破って捨てた。
すっきりするかと思ったけど、そうでもない。

この「さいころ」という字を書いたときの気持が淡く浮かんでくる。
切ない気持がこみ上げて来る。
もう、彼のことでは二度と泣かないって決めたのに。。。


もう、どれだけ泣いただろう。
もう、どれくらい、泣かない、って決めただろう。

泣いてもどうにもならないし、泣いて気持がすっきりするわけでもない。
ただ、今は、「最後のデート」があるから、希望がある。
でも、「最後のデート」が終わったら、どうなるんだろう。
そう思うと、怖い。

「死」の向こうに何もないのと同じように、何も希望がない日々が、ずっと死ぬまで続くの?

結婚を決めた頃、すぐに忘れることができると、自分に言い聞かせることができた。
子供を妊娠した頃、これで忘れることができると信じた。
彼が結婚したとき、もう踏ん切りがつくと確信した。

でも、結婚しても、出産しても、彼が結婚しても、わたしの気持は何も変わらない。
ううん、何も変わらなかったわけではないのかもしれない。
そのとき、その瞬間、忘れられるような気はした。
でも、それは全部気のせいだった。

気がつくと、いつも彼を想うわたしがいた。
なんとなく、「いつか二人は結ばれる」なんて、おバカな空想をどこかで考えてた。


わかってる。
何もかもわかってる。
わたしの脳みそは、ぜ~んぶ、わかってる。

でも、わたしの心とからだは、わたしの脳とは連動していないらしい。



カレンダーを破ったところで、何も変わらない。
そんなことだって、わかってる。
新しいカレンダーの、毎月最後の月曜日には、「さいころ」の文字が、見えないインクで書き込まれているんだ。
それは、きっと来年も再来年も、まだ印刷されていないカレンダーにも。

どうして?
毎月なんて、贅沢は言わない。
どうして、年に一度とかのデートさえ、わたしには許されないのだろう。
セックスがなくてもいい。
キスもなくてもいい。

手をつないで散歩したり、彼の肩に顔を預けて公園のベンチに座ることさえ我慢しなくちゃいけないの?
彼の笑顔を見て、一緒に食事して。。。そんなことさえ、我慢しなくてはいけないことなの?




「最後のデート」。。。
自分で決めたんだもん。しようがないよね。
どこかで線を引かないと、ずるずる、ずるずる、一生ずっと彼の重荷になるもんね。
ぜんぶわかってるんだ、ぜんぶね。

泣くのは、涙が出てくるから。
ただ、それだけだもんね。

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