今日、Ladyと以前に行った伊藤若冲の絵の話をしていたところ、
「あなたがいない間に、みんなで京都に長谷川等伯展を見に行ったんだよ」と聞かされた。

いいなあ。
私も知ってたけど、一人で行くほど絵画に興味がないんだよね、実は。
でも、うらやましかった。
彼の愛してやまない「松林図屏風」も出品されてたから。

すごい人ごみだったらしい。

「〇〇が大学生だった頃、東京の美術館(博物館?)にふらっと入ったら、誰もいない空間に、松林図屏風が飾ってあって。で、遠ざかったり近づいたりして、ここが一番という距離を見つけて、じっと見いてたらしい。」
(彼女は、彼をいまだに〇〇と呼び捨てにする。)

そういう話をLadyから聞いた。

「一緒に行かなかったの?」
「行くわけないじゃない。」
「奈良とかには一緒に行ってたのに?」
「奈良と東京は違うわよ。」

そんなものか。

ふと、中学生の頃、買ったばかりの習字用の筆を短く切って、松林図を書こうとしていた彼を思い出して、それをLadyに言った。
すると、
「えっ、〇〇って絵を描くの?」
「そりゃ、書くでしょ。中学生なら誰だって。」
「そういう意味じゃなくて。」
「ああ、趣味で? 書いてたわよ、たまに。だって、彼、絵を描くの上手だもん。」
「そうなの。。。」
「知らなかったの? 県や全国のコンクールでも、金賞とか、グランプリとか、美術部の生徒を差し置いて取ってたよ。美術の先生が、勝手に出品するんだけど(笑)」

そう、彼は何でもできた。
努力をしないでも、何でもできた。
ピアノだって、スポーツだって、勉強だって。
普通の人が何倍も何倍も努力しても手に入らないものを、彼はいとも簡単に手に入れる。

当然のように彼に約束された高校に、一緒に入るために、私は陰でものすごく努力した。
2.0あった視力が、あっという間に0.01になるくらい努力した。
彼は「マンガの読みすぎだぞ」って笑ってたけど、朝早く起きて、ずっとがんばってた。そうやって、一緒の高校に入ることができた。
でも、だからこそ、彼と一緒の大学に行くことなんて、ありえなかった。
だから、高校に入ってからは勉強するのを諦めた。
勉強から逃げた。

「絵を描きに奈良とか京都に行ったときも、彼は一枚も描かなかったから、てっきり。。。道理でキャンパスを作るのも上手なはずよね。何で気がつかなかったんだろう? 確かに、観る眼はあったもんな~。」

彼が描いた絵が、卒業後の今も、中学の校長室に飾られていると、中学の教師になった友達から聞いたことがある。
どの絵なんだろう?

正面玄関に飾られてた抽象画、今でもあるのかな。。。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索